本読みライフ

読書ブログをやろうと思って気づいたら迷走している。

永遠に分からない、生きる意味

また、長いことブログを更新していなかった。

 

特に書くことがないからだが、それを言えばこのところの僕は、人生全般そういった感情にとらわれている。

 

することがない。

 

特に、することがないからだが、もう50歳。することがないからといって、何もしないというのは、人生を無駄にしているようでいい気分ではない。

 

本当に何もしていない。

 

今日など、一日中雨が降っていたこともあるが、ほとんど寝ていた。

 

本を読むでもなく、テレビを見るでもなく、あえて言えば何かすることはないかとずっと考えてはいたかな。

 

たとえば、テレビなどは、しょうもない番組を見ても、時間の無駄、だと思うと、断捨離的にほとんど何も見れなくなる。

 

僕が知っている人でやはりテレビは見ないという人が何人かいるが、そういう人は、何か他にその余った時間を当てているのだろう。

 

ゲームもしたくない(といいつつSwitch2の抽選に応募はしているが)、本も読みたくない、テレビも見たくないとなれば僕はほとんどすることがなくなってしまう。

 

仕事をすることも考えたが、やはり、それも少し違うような気がして一歩を踏み出せないでいる。

 

たとえばコンビニのアルバイトをするとする。一日中、レジをしたり、商品の陳列をしたりして、時間は過ぎるだろう。

 

しかしこれが、充実した人生といえるだろうか?と考えたときに、否、となってしまうのである。

 

生活のために仕方なく嫌々働いている人には申し訳ないが、僕はある意味、もうすでにFIREしてしまった人みたいになってしまっている。(それがいつか終わりが来ることは分かっているが)

 

生活のためにお金を稼ぐ必要がない。

 

となると、なんのために仕事をするのか、ということが大事になってくる。

 

しかし、僕みたいに50歳にもなって何のキャリアもないと、就きたい仕事が仮にあったとしても就くことは出来ない。

 

また、就いてもフルタイムで働けないから結局働くことは出来ない。

 

どうやら仕事に生きがいを求めることは無理のようだ。

 

だったらどうしたらいい?

 

自由、といえば僕は自由だが、自由という刑に処せられているじゃないけど、やはり生きる意味が欲しい。

 

と、何度こんなことをこのブログに書いただろうか。一向に進歩がない。

 

解決策が思いつかないから仕方ない。

 

無力だ。