僕のブクログの記録によると、この本を最初に読んだのは発売後すぐの2014年11月らしい。
その時は、何という素晴らしいタイトル!まさに自分が読みたいと思っていた本はこれだ!ここに答えがある!と興奮したものだった。
しかし、当時の僕の感想としては、えっ、答え書いてない…仏教?なにそれ???みたいな感想しかなかったように思う。
そして10年が過ぎた。その間にも、僕はいわゆる「生きる意味」のようなものを探し続け、多くの自己啓発本などを読み漁ったが、どれも僕を納得させなかった。
まず、タイトルからしてこの名越先生の本に勝てるものがない。あとは言わずもがなである。
10年経って、もう販売されてないので古書を探した。古書もなかなか見つからないという状況だった。この本は時の流れの中で埋もれてしまいつつあるのか…。(改めて今回確認したら新品の在庫が復活していた!)
そうして読み始めた。まだ第二章、60ページほどしか読んでいないが、少し10年前とは違った感覚にとらわれている。
10年前の僕は何をどこを読んでいたのか。
話は変わる。
今も相変わらず僕は、生きる意味、みたいなものを探しているように思う。
50歳、無職、彼女なし、慢性腎臓病、身体表現性障害、いろいろと人生詰んでいるように思えてくるのも無理はない。
しかし一方で、僕はそこそこ幸せな人生だったなとある程度の満足はしている。
何より親兄妹、甥っ子姪っ子、親戚など、近しい人との関係がとても良かった。人の悩みは多くが人間関係だと言うが、その点、働いていない僕の人間関係とはすなわち親族であり、そこが良好だったというのは最高の幸せではなかろうか。
あと、お金であるが、幸せとお金の関係はだいたいわかっていて、年収1000万円くらいを上限にしてそれ以上いくらお金があっても幸せにはなれない。
まぁ、僕の年収はもちろん10万円くらいだが、先ほども書いたように家族との関係が良く、ほぼほぼニートを貫いてきたので、お金に困ることはなかった。
僕が高級車やブランド品や結婚など、お金がかかるものを望まなかったというのもある。これは、望まなかったのか、お金がなかったから望まない状態を心のどこかで望んだのか、それはわからないが。
前にも書いたことだが、現代社会では、たいていの欲しいものはそんなにお金を出さずともみんなが買えるし、一般人も大富豪も、持ってるスマホは変わらない。せいぜいが十数万円のiPhoneである。
いくら大富豪が1000万円のiPhoneを望んでもそんなものはないのである。
そういうことで、僕は、iPhoneを持っているし、iMacを持っているし、Kindle Paperwhiteを持っているし、Amazon Fire TV Stick 4Kを持っているし、テレビを持っているし、Netflixを契約しているし、もうこれ以上欲しいものは特にないのである。
こんな生活が現代社会のニートにはできてしまう。
だから、特にお金の面で年収10万でもそこそこ幸せである。
しかし、である。僕がどうしても克服できないのは「暇」である。
働いていないとどうしても時間を持て余す。そういうときに何もやりたいことがない自分と向き合うことになる。
やりたいことがないといわゆる「生きがい」がない。そうすると「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」になる、というわけだ。
生きる意味は?何のために生まれてきた?大して意味のない同じような生活を毎日送って何になる?時間の無駄遣いでは?
そんな問いがぐるぐるぐるぐる湧いてくるのである。
そして本書に話は戻るがその答えがここにはありそうな予感がする。
10年前にはわからなかったが、逆説的だが「答えがない」というのが答えであり、それは仏教の「行」ということをとにかくやればいい、というのがあえて言えば答えだ。
まぁ、そこのところは本書を読まないと突然結論だけ言われてもわからないと思うがぜひ読んで理解して欲しい。
つまり、言葉や知識や頭で考えたものの中には答えはなく、それはただ実践の中に於いてのみある、ということだと思う。
実践を通じて「現実」を生きるのである。頭で考えていてはダメだ。
とりあえず、簡単に60ページまでを説明したが、この後の続きも楽しみである。
悩める諸君よ、ここに答えはないという答えがある。おすすめの一冊、ぜひ読んでください。
