なんのために生きるのか?
たぶん、日々楽しいことに満ちていたら、そんなことは考えないと思うんですよねぇ。
僕もそう。
最近楽しいことがない(減った)からそういうことを考え始めてる。
だから、たぶん、こういう質問は、答えを求めてるわけじゃないんですよ。
よくある答えが、生きる意味なんてない、それは自分自身が見いだしていくものだ、って言うやつ。
まぁ、答えと言えばこれが答えだろうね。
そう、人生に意味はない、意味はあってはいけない。だって、人生いろいろだから、いろいろであるためにはそこは自由でなければならない。
それともうひとつ。たとえ意味があったとして、その意味のために生きている自分がつらいとしたら、意味があったとしても幸せとは言えない。
だから、なんのために生きるのか?人生に意味はありますか?という質問の裏には、どうやったら幸せになれますか?という質問が隠れていると思う。
だから昨今、幸福学というのがブームになったりする。
と、ここで冒頭に戻るが、日々楽しいことに満ちていたら幸せじゃないですか?
まぁ、幸福学の本とか読むと、まず、幸福の定義とは?から始まって、そもそも幸せとはなんぞや?ってなるんですが、興味のある方は読めばいいけど、小難しいことはひとまず置いておいて、ほんとに、単純に、僕は幸せとはそういうものだと思うなぁ。
だから、僕の場合、読書が楽しくて、ドラマが楽しくて、寝るのが気持ちよくて(快楽)、まぁそのくらい、どうってことないことで幸せと言えた。
だが、この頃、読書もあまりしたいとは思わないし、ドラマもあまり面白いものがない、唯一、いつでも眠たかったら寝ればいいので、そこは満たされていて幸せだと言える。
今日はジムに行く日。行く前に大谷さんの試合の録画を見て行った。
大谷さんはあっという間に43−43を達成しており、大変喜ばしい。大谷さんが打つと幸せな気持ちになれる。これも僕にとっては幸せか。大谷さんは幸せを作り出している。すごい。
いい気持ちでジムを終えることができた。と言いたいところだが、まぁまぁ我慢してギリギリのところを攻めているので楽々でもないし、苦しいのが正直なところだ。
まぁ、仕事をしてないのに、ちょっと仕事をしたような気持ちになれるのでお得というか、お金を払ってやる価値はあるような気がする。
